年末年始の挨拶

 この記事を書いている現時点で、メキシコは2018年12月31日の午後1時位です。メキシコは日本ほど年末年始に休暇を取るという習慣が根付いていないため、なんと本日31日も銀行が開いているくらいです。さすがに元日はショッピングモールなどを除き、ほぼ全てのお店や施設が閉まりますが、1月2日には仕事始めとなります。

 去年のこの時期の記事を読むと、同じようなことを書いていますが、24歳でメキシコに来てから8回目の誕生日を迎え、気付いてみれば32歳。未だに自分が何をしたいのか、何のために生きているのかわからないままです。今の20代の人で同じような気持ちを抱いている人がいるなら、僕は「大丈夫だよ。30代になってもわからないままです。」と言いたいです。

 2017年の10月に転職し、2018年は新しい職場で新しい仕事を覚えながら、増えたプライベートの時間を趣味に費やし、充実した1年間だったと思います。一方で、この穏やかな時間も、そう長くは続かないのだろうと、会社の業績を知り、考えています。それはまた、自分は会社のために生きているのではない、ということを再認識させてくれることでもありました。

 ブラック企業を去ってから、胃腸の具合も大分回復し、今では普通の生活を送ることができています。給料も上がり、来年の1月からも本社による給料見直しから、大幅に給料が増える模様です。現時点でも、一人暮らしでメキシコという国で暮らす分には十分な給料を頂いておりますが、さらに増えるというのであれば、趣味に掛かる費用に充てることもできるなと考えており、来年はもしかしたらパソコンとテレビを新調するかもしれません。

 同時に、もう日本に帰って新たな生活をスタートさせるということはないのではないか、と考えることが多くなってきました。以前は30代を前に日本に帰ろうと考えていましたが、ブラック企業で心身を病み、自分で自分を追い込んで、故郷に帰ったのは8年間でわずか1度、それも2011年。あれから僕の友人も姉も父も年をとりました。この僕も。日本のことを知る手段はニュースだけ。恐らく、今、日本に帰ったら僕は軽い浦島太郎状態になると思います。この8年間の空白を取り戻すのが、どれほど大変なことなのかは想像がつきません。

 仕事を変えてから、体の調子は良くなりましたが、心の方はどうかというと、未だに自分が以前のような状態に戻ったとは思えないことがいくつもあります。数え上げればきりがないので列挙はしませんが、例えていうならば、心の中に大きく深い、洞窟のような穴が開いたように感じます。その穴を埋めようと、趣味に没頭しようとしましたが、それでも埋まらない。30代になり、周囲の人から「恋人はいないのか、結婚はしないのか、良い女性を見つけなさい」とは言われるものの、全くそういった欲求もなく、自分が好きなタイプの女性もわからず、目の前の美しい女性たちを見ても、美術館で絵画を見ているような気分にしかなれないのです。

 僕は今の現状を充電期間であると位置づけています。それが終われば、また、心身を擦り減らしながらの生活に戻ることになるでしょう。僕はそれが悪いことだとも、恐ろしいこととも思っていません。昨年の記事でも同じことを言いましたが、結局のところ、世の中はなるようにしかならないのです。自分の人生も、自分が選んでいるように見えて、結局、なるようにしかならない。これを「諦観」であるという人もいますが、僕はこれを「許容」としたいのです。ありのままの全てを受け入れることで、不必要な苦悩や痛みから逃れて、少なくとも精神的には穏やかで生きることができるのだと思いたいのです。

 長くなりましたが、これが2018年に僕が考えたこと、感じたことのまとめです。2019年がどんな年になるのかはわかりませんが、世界中の人々にとって良い1年になることを心から祈っています。