(写真元:The Inquisitor 記事元:solowrestling.com SONIA AROYUELO)
海援隊のマネージャーとして活躍した、ウォーリー山口こと、山口雄介が3月9日逝去した。
2017年12月に脳梗塞で倒れた山口は、ミル・マスカラスファンクラブの最重要メンバーの1人であり、80年代から90年代にかけて人気を誇った、週刊ゴングのライターを務めた。また、FMW創立にも一役買い、新日所属の選手の1人である外道のキャリアにおいてエッセンスともなっている。また、80年代においては、ジャイアント馬場の家族や全日本所属の選手ら、また、日本各地のインディー団体とも交流を持ち、大きな影響力を持っていた。
山口は自宅にリングを持ち、そこでは多くの若きプロレスラーが練習していたという。また、プロレスグッズ蒐集家としても知られ、The Wrestling Observerなどのメディアに対して、日本における重要な情報源であった。また、当時は北米大陸のスーパースターらが日本へ遠征する際は、その世話係としても奔走、また、完璧に英語を操り、異なる企業やメディアとの仕事では仲介役を買い、選手らが快適に遠征できるように尽力した。
その後は日本とWWFの架け橋となった。みちのくプロレスから海援隊を率いてWWFに乗り込んで、自身のストーリーラインに関わりながら98年から01年にかけて活躍。当時は、自身の妻と浮気をしていたというギミックのバル・ベニスと抗争関係にあった。
弟のシュン山口はWWEのコメンテーターとして活躍。アメリカで雑誌用のカメラマンとしてキャリアをスタートさせ、当時のありとあらゆる団体、プロモーションの重要なイベントで写真を撮り続けていた。
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