ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです

ルチャリブレ、プロレスのスペイン語記事を日本語訳して紹介します。

L.A.ParkがLa Parkaの名前を再び使わないことを認める

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(写真元:MLW 記事元:solowrestling.mundodeportivo.com SERGI PERALTA)

 伝説的ルチャドールラ・パルカ』ことヘスス・アルフォンソ・エスコボサ・ウエルタが、腎不全により54歳の若さで急逝した。昨年10月にモンテレイで開催されたKaoz Lucha LibreによるArena Coliseum創立64周年記念興行にて首と頸椎を骨折したパルカは、その治療中であった。

 ラ・パルカの訃報を受け、とあるファンが『La Parka』の氏名権は一体どうなるのか?という質問を投げかけた。具体的にいうと2つの可能性がある。一つは、カリス・ラ・モミアジュニアの名前で活躍中の息子が父親の名前を受け継ぐこと。父親に敬意を捧げ、最終的に息子が『La Parka Jr.』を名乗るのであろう。しかし、ファンは同じく伝説的ルチャドールのL.A.Parkがかつてのリングネームを取り戻す可能性について言及した。

 L.A.Parkことアドルフォ・タピア・イバラはこの言及について、パルカがAAAに残した場所を埋めることは自身にも、誰にもできないとし、出来ることは『その名前が決して忘れ去られることのないように尊重することである』とした。また、その名前を巡ってのかつての言い争いは過去のものとし、『神が彼の御霊を天へ導きくださることを願う』とコメントした。

 タピアはAAAでオリジナルのパルカとして活躍していたが、96年にWCWに入団したことから、エスコボサ・ウエルタに信任しパルカのキャラクターを引き継がせ、生涯に渡って活躍を続けた。

 タピアが2010年にAAAに復帰すると、ウエルタとの絶え間ない論争が始まった。タピアは『La Parka』の氏名権を取り戻すためにTriplemanía XVIIIにて対戦。タピアはペロス・デル・マルの介入もあり試合に勝利するものの、メキシコ連邦区ボクシング・レスリング協会は、試合のレフェリーが正規のレフェリーではなかったことを理由に、試合を無効試合とした。その後、リベンジマッチが同年7月4日に開催され、ウエルタがタピアを破り『La Parka』の氏名権を得た、という経緯がある。

https://solowrestling.mundodeportivo.com/new/86707-la-park-no-volvera-usar-nombre-la-parka