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ルチャリブレ、プロレスのスペイン語記事を日本語訳して紹介します。

オリンピコがレフェリーとしてデビュー 公式に選手としては引退へ

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(写真元:CMLL 記事元:superluchas.com Dark Angelita)

  • オリンピコがレフェリーとして登場し、9月最初のCMLL興行で観衆を驚かせた。

 アレナ・メヒコの金曜定期興業が復活するという朗報の後、興味深い対戦カードが顔を揃えた9月4日金曜日、オリンピコがレフェリーとしてデビューを果たした。

  コロナ禍による6か月間の活動中止後、CMLLの本格的活動再開に際し、オリンピコは5試合中2試合のレフェリーを務めた。残りの3試合についてはティグレ・インファンテが試合をジャッジした。

 オリンピコは2試合目のタッグマッチでデビュー。『Atrapa Sueños*1』ことエスピリトゥネグロ、レイ・コメタ組がゲレロマヤジュニア、アウダス組に勝利した。素晴らしい展開を見せる試合を見極めるということで、少し緊張した様子ではあったが、リング上の権威としての役割を務めた。

 次に審判を行ったのは、グランゲレロ、エウフォリア、サンソン組がボラドールジュニア、フライヤー、バンディド組と対戦したセミファイナル。試合はボラドールジュニアと対峙したグランゲレロがマスクを奪われたことから、容赦なくボラドールジュニアに反則負けを宣言し、ルード組が試合に勝利した。

 こうして、オリンピコの選手としての27年のキャリアは終了した。92年9月13日記念碑的アレナ・メヒコ日曜日興行で、オリンピコオリンパスとタッグを組み、『Los Caifanes Rockeros』ことカイファン・ロケロⅠ、カイファン・ロケロⅡ組を下してデビュー戦を勝利で飾った。彼の名前と観念は92年スペインはバルセロナで開催された夏季オリンピックに由来している。

 98年9月、オリンピコはカルロフ・ラガルデジュニアを破りCMLLウェルター級王座を獲得し、これが自身初のタイトル獲得となった。2000年3月、オリンピコ、見捨てるニエブラ、サファリ組は、ブルーパンテル、フエルサゲレラ、シグノ組を試合で下し、メキシコトリオ王座タイトルを獲得している。

 ペロス・デル・マルに合流し2年間の不在の後、CMLLに復帰したオリンピコは『Los Invasores』に合流し、創立77周年記念興行では14選手による金網マッチに敗れマスクを失うという最も最悪な災難に見舞われている。オリンピコことメキシコシティ出身のホエル・ベルナル・ガリシアに引導を渡したのはソンブラであった。

 オリンピコの最後の試合となったのは、オクムラ、ブラックマジックとタッグを組んでドローン、マヒア・ブランカエスティグマ組に勝利した2020年3月3日火曜日定期興業であった。

 9月4日、オリンピコは公式に選手としては引退し、今後はCMLLの審判団に加入しレフェリーとしての仕事に専念するという。

https://superluchas.com/cmll-el-debut-de-olimpico-como-referi/