(写真・記事元:superluchas.com Apolo Valdés)
ルチャリブレ界にさらなる訃報が舞い込んだ。26日月曜日、ブラソ・デ・プラタやスペル・ポルキーとして知られるホセ・ルイス・アルバラド・ニエベスが58歳で亡くなった。
SNS上で複数の関係者が同氏の逝去を伝えたが、死因については特定されていなかった。
しかしながら、同氏は数年前から健康状態が悪く、CMLLに在籍中の2016年に現役を引退せざるを得ない状況であった。
当時、ポルキーの体重は151kgに達しており両足に問題を抱えていた。減量に成功したもののリングに復帰することは叶わず、また、他の健康上の問題もあったという。
スペル・ポルキーの経歴
メキシコルチャリブレ界で深く愛されたブラソ・デ・プラタは様々な時期で記憶に残る選手であり、初期の頃は兄弟であり既に他界していたブラソ・デ・オロとブラソとのトリオ時代である。
1977年にデビューした同氏は兄弟と共に少しずつ名声を得て、暴力的で非道な悪役として、ライバルに恐れられる選手であり、『Los Mosqueteros del Diablo(悪魔の三銃士*1)』と呼ばれていた。
数え切れない程の試合を行い、その中でも最も記憶されているのはマスクを失ったビジャノスとのマスカラ戦だ。
CMLLとAAAで活躍した同氏は、そのカリスマ性と試合の組み立て方で深く愛され、ブラソ・デ・プラタというキャラクターの一方で、ポルキーとしても知られていた。
死因は心筋梗塞
スペル・ポルキーの逝去に家族は長い時間に渡り沈黙していたが、通夜でその死因が明かされた。
同氏の息子であり、家族を代表して死因を公表したのはサイコ・クラウンであった。サイコは父親が何時、どのようにして亡くなったのかを明かした。
「私たちは悲嘆に暮れています。それは突然の事でした。私の父は心筋梗塞で亡くなりました。」とサイコはその場に居合わせたマスメディアに答えた。「これまでにも何度か心筋梗塞を起こしており、一度目はアレナ・コリセオでした。それから数年後にもう一度、それでも父は試合を続け、そして3度目の心筋梗塞からは逃れることができませんでした。父は気分が悪いと訴え、私たちは診療所に向かい、病院へ連れて行こうとしましたが、父は家に帰りたがったのでした。」
健康状態の悪化が引退へ追い込んだ
スペル・ポルキーは体重による様々な健康状態問題を抱えていた。151kgに達し、両膝を故障した同氏は現役を引退せざるを得なかったという。
彼は現役中に引退を宣言するため、リングに復帰することを常に望んでいたが、それは叶わなかった。しかしながら、生前に複数のルチャリブレ会場からその功績を称えられている。
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*1:直訳は悪魔の銃士だが、三兄弟によるトリオだったので、あえて三銃士と訳した。