焔薙(ほむらなぎ)
神代家家宝 焔薙
分類 古刀
鍔部分には、マナ時架が透かし彫りにされている。
眞魚岩から採取した隕鉄を製錬したもので、天の神の力が宿ると言われている。
-ゲーム内Archiveより-
神代家伝書 焔薙ノ事
異教弾圧の歴史を残した神代家の絵巻。
村を焼き尽くそうと幕府が放った火を焔薙で振り払う姿が描かれている。
-ゲーム内Archiveより-
日本刀という観点からの考察
作成時期について
刀剣の歴史は古く、古墳時代以前から製作されていることが確認されている。その頃は反りのない直刀と分類されるものであり、日本におけるその出現は弥生時代後期に遡り西日本を中心に出土しているが、多くは中国大陸からの舶載品であると考えられている。
熊本県玉名郡菊水町大字江田字清原船山古墳出土の直刀(国宝指定)。長さはそれぞれ111cmと114cm。
C0062504 直刀 - 東京国立博物館 画像検索 (tnm.jp)
日本で鉄製の刀剣が生産されるようになったのは古墳時代以降であるが、古墳時代前期は直剣*1が多く生産されており、直刀が用いられるようになったのは後期以降であるという。その後も直刀は使用され続けていたが、騎乗した状態で刀を振り下ろす使い方に適するように形状が変化していき、彎刀、そして日本刀へと姿を変えていった。
青森県弘前市にある熊野奥照神社に宝物として保存されていた蕨手刀(わらびてとう)。作成時期は奈良・平安時代頃であり室町時代の発見とされるが出土地不詳で詳細不明。蝦夷が好んで用いていたという反りのある蕨手刀は日本刀の起源とされている。蕨手刀|青森県庁ウェブサイト Aomori Prefectural Government
平安時代後期に入ると武家の勢力が大きくなり、武器としての刀がさらに発達し、これ以降の刀がいわゆる日本刀となった。最初の日本刀が作成され始めたのは平安時代中期の10世紀末ごろと見られている。
日本の国宝でもある童子切安綱(どうじぎりやすつな)は日本刀が作成され始めて間もない頃の日本刀である。源頼光が丹波国の大江山に住み着いた鬼である酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという伝承から童子切と名付けられた。【刀剣ワールド】童子切安綱|刀剣名刀図鑑 (touken-world.jp)
SIRENに登場する焔薙の形状を確認すると、刀身に反りがあることと、片側のみに刃があることから、平安時代以降に作成され始めた日本刀であることが明瞭である。
流星刀について
焔薙の作成時期を特定する上で重要なのが、焔薙は通常の鋼*2で作成された日本刀ではなく、眞魚岩から採取された隕鉄を製錬して作成されたという点だ。隕鉄で作成された刀剣というのは世界各地に見られ、日本では明治時代に榎本武揚が刀工岡吉国宗に鉄隕石を使用して作らせたという流星刀が知られている。
東京農業大学図書館所蔵の岡吉国宗作『流星刀』は1898年に作成された。岡吉国宗|《流星刀》|1898年|隕鉄|刃長68.6 cm 反り1.5 cm|所蔵:東京農業大学図書館|撮影:木奥恵… | Flickr
榎本武揚はロシア大使としてサンクトペテルブルクに赴任していた時期に、ロシア皇帝の秘宝の中に鉄隕石で作成された刀があることに感動し、それで刀工岡吉国宗に鉄隕石を使った日本刀の作成を依頼したのだという。
作成に使用された隕石は1890年頃に発見された『白萩隕鉄』だ。採集場所の詳細は不明だが、現在の富山県上市川ダムの上流、千石地内よりもさらに上流ではないかと考えられている。大きさの割に重い石であり、明治28年に農商務省地質調査所が鑑定したところ隕石であることが明らかとなった。
当時はただの鉄の塊として判断され分析すらされなかったという。
参照:白萩隕鉄と流星刀|富山市科学博物館 Toyama Science Museum (tsm.toyama.toyama.jp)
当初、隕鉄を使用して日本刀を作成することが初めてであった国宗は、隕鉄の加工に苦労したが、最終的には隕鉄と玉鋼*3を混合し、大小4振りの流星刀の作成に成功した。
それでは焔薙も同じく明治時代に作成された日本刀なのだろうか?仮に明治時代に作成されたものだとすると、神代家伝書の内容と矛盾が生まれてしまう。伝書によれば、焔薙は異教弾圧の歴史の中で、幕府が村を焼き払おうとして放った火を焔薙で振り払い村を救った、とあるからだ。
ここでいう異教というのは、眞魚教と融合したキリスト教のことであろう。江戸時代、幕府は室町時代末期に日本に伝播されたキリスト教に対し警戒感を持っていた。太閤豊臣秀吉は1597年(慶長元年)にフランシスコ会の宣教師、信徒ら26名を死刑に処した。このことは二十六聖人の殉教として後世に語り継がれている。
長崎県長崎市西坂町の日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」殉教した26人の中には13、14歳の子供もいた。26聖人 (asahi-net.or.jp)
江戸幕府によるキリスト教の弾圧が本格的に始まったのは、禁教令が発布された1612年(慶長17年)であるので、少なくともこの時期頃に焔薙は既に制作されていたものと考えられる。時期をさらに絞ってみよう。
透かし彫り
焔薙の鍔部分にはマナ字架が透かし彫りされている、とゲーム内アーカイブには書かれている。
彫金の技法の一つとしての透かし彫りは古墳時代の冠や馬具、奈良そして飛鳥時代の仏像、幡*4などにも施されている。この透かし彫りという技術が日本刀の鍔の装飾に用いられるようになったのは室町時代に入ってからであり、江戸時代に入ってからも製作されていた。
鍔:無銘(伊藤派) 梅樹透図 竪丸型 赤銅磨地 透かし彫り 毛彫 丸耳 両櫃孔片櫃穴埋 江戸時代 Épinglé sur swords and weapons (pinterest.com)
キリシタン大名を中心に刀の鍔に十字架をモチーフとしたデザインを取り入れた、キリシタン鍔と呼ばれるものがキリスト教の伝播と共に登場する。禁教令前後でデザインは大きく変わるものの、十字架がモチーフとされているという点は同じだ。ゲーム中では焔薙の鍔のデザインを詳しく見ることができないため、禁教令前後のどの時期に作られたのかは不明である。
「隠れキリシタンの鍔」30点余確認 十字を巧妙に隠す:朝日新聞デジタル | キリシタン, 日本刀, 刀 鍔 (pinterest.jp)
紙面【メトロポリタン】隠れキリシタン鍔 禁教 刀に十字架秘め。貴重なコレクション 神奈川・大磯で公開。ほか 詳しくは本日(5月22日付)東京新聞朝刊にて。 pic.twitter.com/GrHEZkaFhn
— 東京新聞ほっとWeb オフィシャル (@tokyohotweb) May 21, 2016
上記のことから、あくまでも推察の域は出ないが、焔薙は江戸幕府による禁教令発布前後、新刀期*5と呼ばれる時期に優れた技術を持った刀工により、眞魚岩から採取された隕鉄で作成された日本刀である可能性がある。白萩隕鉄の場合は、その鉄よりも柔らかいという特徴によって刀の作成に苦労したそうだが、例えば、ロシア皇帝の秘宝の流星刀は1793年に南アフリカで発見された喜望峰隕鉄から作られ、1810年頃に当時のロシア皇帝アレクサンドル1世に贈られたものであることが分かっていることから、隕鉄の成分によっては作成するのが容易な場合があるのかもしれない。
また、よりSIRENらしい考察をするのであれば、19世紀の刀工が作った流星刀が何らかの力によって江戸時代にタイムスリップしたと考えても面白いだろう。ちなみにだが、榎本武揚の依頼で岡吉国宗が作成した4振りの流星刀のうち、1振りは戦時中に紛失している。*6
2022年11月2日追記分:焔薙の鍔のデザインについて
当記事を読んで下さった読者の方から、ゲーム中に登場する焔薙の鍔の拡大画像を提供頂いた。
特に拡大された3枚目の画像から判断すると、マナ字架が透かし彫りされているということもあり、その複雑な意匠は隠れキリシタンの鍔とは趣きが非常に異なっている。その意匠の特徴から作成された時期を推察してみる。
まず、鍔の形は丸形であり色は黒色で、真鍮や銅ではなく鉄で作成されているように見える。耳の部分には南蛮鍔のようなギザギザの意匠は施されていない。
ゲーム中には鍔に関してこれ以上の言及はないため、限られた情報での推察となるが、筆者は土佐明珍派が制作した明珍鍔に似ているように感じた。
明珍鍔とは
明珍鍔を作成していたのは、甲冑の制作を生業としていた明珍家である。鎌倉時代初期から明治時代に亘って日本全国で活躍していたという。明珍鍔は中国やインド、そしてヨーロッパなどから輸入していた鉄で作成されており、菊や桐、唐草模様などの透かし彫りを施していた。
銘 土佐国住明珍紀宗利 枝菊透鍔(画像元:銀座 誠友堂 日本刀、刀剣販売なら、販売買取専門刀剣店の東京・銀座誠友堂 (seiyudo.com))
刀工は誰なのか?
隕鉄から刀を作成していることから、優れた刀工が焔薙を作ったのは間違いないと思われる。刀工は何者なのだろうか?
ゲーム中に他の日本刀が登場しないことから、羽生蛇村に刀工及び鍛刀地が存在していたとは考えにくい。*7焔薙は神代家の家宝であることから、神代家の何者かが眞魚岩から隕鉄を採取し、刀工に流星刀を作るにように依頼したと考えるのが自然ではないだろうか。
羽生蛇村の所在地が不明なため、刀工を特定するのは非常に難しいが、禁教令発布前後の時期に著名であった刀工に注目し、いくつかの説を挙げてみる。*8
肥前忠吉説
江戸時代初期に活躍した刀工である肥前忠吉(ひぜんただよし)は現在の佐賀県に武士として生まれたが、その後1596年に上京し刀匠に転身。山城国の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の下で技術を培った。1598年に帰国し居を構えた肥前は佐賀藩の藩士として取り立てられ家は栄えた。勝海舟が忠吉の作成した刀を所有していたと言われている。
銘:肥前国忠吉(初代)時代:慶長頃 刃長:71.8cm 肥前国忠吉(初代) (chigaitakanoha.com)
埋忠明寿説
肥前忠吉に技術を教えた師匠で山城国の刀工。忠吉の他にも優れた弟子を育成した。元は足利将軍家に仕える金工師*9だったためか、現存する作刀数は非常に少ない。
太刀 時代:桃山時代 刃長:64.7cm 重要文化財 京都国立博物館太刀(たち)銘山城国西陣住人埋忠明寿 | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum (kyohaku.go.jp) 坂本龍馬が脇差と共に保有していた。
堀川国広説
安土桃山時代の刀工であり1614年没。山伏修行をしながら諸国を放浪し、刀工の腕を磨いたという。放浪中に羽生蛇村を訪れ、隕鉄を用いて打った刀が焔薙であった、と想像すると面白い。
刀 時代:慶長 刃長:69.6cm 香川県立ミュージアム 刀 無銘(伝堀川国広) 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)
焔薙の鞘について
鞘は刀身を保護し、持ち歩く人や周囲の人が誤って刃先に触れてケガをしないようにするという大切な役割がある。鞘は大きく二種類あり、一つは拵(こしらえ)と呼ばれ、もう一つは白鞘(しろさや)という。
拵(こしらえ)
拵は柄、鍔、金具を付けて塗りを施して外装したもののことで、侍が腰に差しているものがこれにあたる。
丹波守吉道(大坂二代)倉敷刀剣美術館 【刀】 丹波守吉道(大坂二代)――倉敷刀剣美術館 (touken-sato.com)
白鞘(しろさや)
一方で白鞘の方には鍔は付いておらず、塗装が施されてない木材のまま仕上げたもので、刀を家で保管しておく時に使う鞘だ。
千代鶴(磨上無銘)刃長:70.2cm 上が拵で下が白鞘である。千代鶴の刀 (sinogi.jp)
SIRENのゲーム中に登場する焔薙には鞘の存在が見受けられない。ゲームの都合上ということも考えられるが、いんふぇるので須田恭也の前に立ちはだかった神代淳が手にしていた時点で剥き身だったため、恐らくは現世に置いてきたのであろう。剥き身で長い間保管されていたとすれば、腐食が進んで使い物にならなかったはずだ。
焔薙にはマナ字架が透かし彫りされているという鍔が付いていることから、白鞘ではなく拵と共に保存されていたことが想像できる。ということは、家で保管されていたのではなく、日常的に帯刀されていた*10ということだ。
豊臣秀吉が行った『刀狩り』に続いて、江戸幕府も『帯刀*11』を制限していた。当時、帯刀を許可されていたのは武士、豪農や豪商であったという。神代家についてはゲーム中で多くが語られていないが、少なくとも八尾比沙子が684年に堕辰子の肉を食べて不治の呪いを受けた時から神代家が現代まで続いていることを考慮すると、江戸時代も帯刀を許可されるような権力を有していたであろうことは想像に難くない。*12
おまけ:天使のレリーフで天使が持っている剣は焔薙か?
7年前に書いた宇理炎の研究記事内で紹介した天使のレリーフにもう一度注目してみると、左側の天使が手にしているのは彎刀、日本刀のように見える。この二人の天使を象ったものが宇理炎という土偶であることは間違いないが、仮にこの天使が持っている刀が焔薙であったと仮定すると、宇理炎が存在するよりも前に焔薙が存在していたこととなる。焔薙は刀工が隕鉄から作った日本刀ではなく、木る伝*13や宇理炎と同じ力がもたらした神の武器の一つなのだろうか?*14
仮に焔薙が天使が持っていた武器であるとするのならば、もう片方の天使が持つ盾は何処へ消えてしまったのだろうか?
まとめ
以上の検証要素から「焔薙」とは一体何かということについて、想像を交えながら以下の結論を導きだした。
- 形状から平安時代以降、時代考証から禁教令発布前後までの間に作成された日本刀である。
- 当時、帯刀が許可されるような権力を有していた神代家が、眞魚岩の隕鉄を採取し、山伏修行で全国を放浪していた堀川国広が羽生蛇村を訪れた際にその腕を見込んで流星刀の作成を依頼した。
- もしくは、SIRENの世界では榎本武揚が岡吉国宗に流星刀の作成を依頼した際に用いられた隕鉄は眞魚岩隕鉄であり、4振りを作成したうちの1振りは戦時中になんらかの力で江戸時代初期の羽生蛇村に送られた。
- 2の仮説の場合、焔薙には鍔が付いているため、拵も作成されていると想像できる。そのことから、神代家の人物が帯刀していた日本刀である。
- 焔薙を作成した刀工と鍔を作成した鍔工師は、作成に要求される技術が異なる点から、別人である可能性が高い。意匠や材質の特徴から土佐明珍の技術を持った鍔工師が、神代家の依頼を受けて既に完成していた刀身に対して鍔を作成した。
今回の検証については、前回の宇理炎と比較すると、ゲーム中から得られる情報が極端に少なかったため、推察の域を出ない内容となってしまっていることについてはご容赦頂きたい。最後まで本記事を読んで頂いた方に深謝。
そして、SIREN発売18周年を心よりお喜び申し上げます。
*1:直刃、両刃の反りのない刀剣のこと。5世紀末には廃れてしまったそうだ。
*2:炭素を0.04%から2%程度を含む鉄の合金のこと。最初に鋼を開発したのは紀元前1,400年頃のヒッタイトであるとされている。
*3:たまはがね。鉧押し(けらおし)という製鉄法で製錬された鋼の中でも良質なものを指す。
*4:ばん。法要の際に境内に立てる飾り布のこと。
*5:1596年以降から現在まで。
*6:紛失したのは短刀であったという。
*7:仮に羽生蛇村内に鍛刀地がある、もしくはあったのであればゲーム中に他の日本刀が登場しても不思議ではない。
*8:勿論、焔薙が無名の刀工によって作成された可能性も十分にある。しかし、ゲーム中に折れることなく、木る伝の力を宿した状態とはいえ、剣術の心得が無い少年が堕辰子の首を一刀両断したことを考慮すると、やはり名のある刀工が作った可能性は捨てきれない。
*9:きんこうし。日本刀を装飾する金具を作る職人のこと。
*10:勿論、焔薙が祭事に用いられ人目につくために拵が作られたという可能性もある。
*11:刀を携帯して持ち歩くこと。刀を所持すること自体に制限はなかったらしい。
*12:因果律によって家系が根絶しないように守られていたとも考えられる。
*13:羽生田村に伝わる『天地救之伝では、燃えさかる炎の剣、つまり焔薙と共に楽園を守る聖獣として描かれている。
*14:焔薙の存在を知る人物が天使のレリーフを作成し、天使に焔薙を持たせたデザインにした可能性が高い。天使が彎刀を手にしているというイメージは一般的ではないからだ。