(画像元:CMLL 記事元:superluchas.com Apolo Valdés)
ルチャリブレ界が喪に服している。1月10日火曜日ブラックウォリアーのリングネームで知られ、2000年代に渡り多大な功績を残したヘスス・トラル氏の逝去が報じられた。
SNSを通じて、直近でブラックウォリアーと協力し、ルチャリブレの講師であったアレナ・ママ・ルチャスは、53歳のブラックウォリアーの逝去を伝えた。
訃報に際し、遺族はコメントを発表していないがCMLLは同氏の逝去を確認したことを伝えている。
ブラックウォリアーが最後に公に姿を現したのは12月31日であり、毎日が人生最後のように生きなければならないと呼びかけた新年のメッセージを伝えた動画だった。
「ハッピーニューイヤー。神様が君に与える毎日は、それが新しい一日なんだ。人生最後の日だと思って、たくさんの愛を持って、神に従って生きるんだ。君は神からたくさんの祝福を受けて健康なんだ。君の友人、ブラックウォリアーより。」
2022年3月にブラックウォリアーJr.のリングネームで活動していた息子は頸部を負傷してから衰弱し続け亡くなったばかりだ。
ルチャリブレ界のブラックウォリアー
ヘスス・トラルは1984年にドゥランゴでデビューし、デストロイヤー、カモーラ、ラ・マスカラ、ブロンセ、バリ・ベガスなど複数のリングネームで活動していたが、彼が有名になったのは1996年にブラックウォリアーとして活動を開始してからだ。
現役時代には連邦区トリオ王座、NWA世界ミドル級王座、世界トリオ王座、ナショナルトリオ王座など、複数のタイトルを獲得している。
コントラマッチに関しては、2006年にアレナ・メヒコで行われたミスティコとのマスカラ戦に敗北して以降は、ピラタ・モルガン、イホ・デル・ピラタモルガンとタッグを組んで臨んだ、ロス・オフィシアレスとのコントラマッチで1度だけ勝利している。
ほとんどの活動期間をCMLLで過ごしたわけだが、一時期はAAAにも在籍していたが、2009年からは主にインディー界隈で活動していた。
Falleció Black Warrior, ídolo de la lucha libre | Superluchas