ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです

ルチャリブレ、プロレスのスペイン語記事を日本語訳して紹介します。

【訃報】歴史的メキシコ人レフェリーのラファ・エル・マヤ氏が逝去

(画像元:CMLL 記事元:superluchas.com 記者:Apolo Valdés)

 メキシコ国内のプロレスシーンで最も象徴的な人物の一人、ラファ・エル・マヤとして良く知られた、ラファエル・ゴンサレス・ロペス氏が逝去し、業界全体が喪に服している。

 50年以上のキャリアを誇る同氏は選手として活動を開始し、後にレフェリーに転身、スポーツ史に偉業を残した。ラファエル氏の逝去は、息子のエドガー・ハビエル氏により確認され、SNSを通じて父親を失った深い悲しみと、父親の人生を誇りに思う旨のメッセージを発信している。死因は公にされていないが、ラファエル氏の旅立ちはコミュニティに大きな衝撃を与えた。

 「どのようにこの痛ましい状況に反応したらよいかわかりませんが、残念なことに私の父、ラファ・エル・マヤがアレナ・セレスティアルでのレフェリーとしてブッキングされました。既に、彼は良い場所にいます。皆さん、有難うございます。」

半世紀に及ぶ偉業

 ラファ・エル・マヤは1971年に父親がスポンサーを務めていたフットボールチームの名前からとったマヤ・アステカのリングネームでデビューを果たした。その後、グアルラというキャラクターでも活動し、記憶に残るコントラマッチの果てに2つのマスクを失っている。しかしながら、彼の真の業績はレフェリーに転身してからであり、レフェリーとしての役割に徹し、30年以上に渡りCMLLルチャリブレに情熱を注ぎこんだ。

 同氏がレフェリーを務めた最も記憶に残る歴史的試合の中には、アトランティスとビジャノⅢのマスカラ戦や、ウニベルソ2000がマスクを失った試合などが挙げられる。カリスマ性に富み、膨大な知識を有する、メキシコを代表する不動地位を築いたレフェリーであった。

私生活

 晩年は糖尿病、網膜症などの複数の健康上の問題を抱えていたものの、Youtubeチャンネルを立ち上げるなどしてファンとの交流を続けていた。息子の協力を得て、これまでのキャリアにおける逸話や、過去の振り返り、そして今のルチャリブレについてを語り、新しいフォロワーを獲得していた。

 伝統的スタイルを崩さず、ルチャリブレの地上戦へのノスタルジーを頻繁に吐露し、空中技重視への発展を批判していた。「ルチャリブレは既に汚染されてしまった。以前はもっと伝統的だった。」と語り、関節技の技術と伝統への情熱は明らかであった。

ルチャリブレで愛される人物

 現役時代、ラファ・エル・マヤは国内の会場という会場、聖地アレナ・メヒコはもちろん、市場やマニアックな場所での試合でもレフェリーを務め、その都度に印象を残した。肉体的な逆境にも関わらず、ルチャリブレの愛は最後の瞬間まで、彼とルチャリブレを繋ぎ続けていた。

 ラファエル氏の逝去に際し、コミュニティからは即座に反応が起こり、CMLL、AAA、そしてインディーズでの活躍が思い出された。

 ラファエル・ゴンサレス・ロペス、『エル・マヤ』はレフェリー以上に、メキシカンルチャリブレへの畏敬の象徴であった。同氏が語る時、レフェリーを務めた試合、実際にその試合を見た者たちの心の中に、ラファエル氏の記憶は生き続けることだろう。安らかにお眠り下さい。

superluchas.com