ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです

ルチャリブレ、プロレスのスペイン語記事を日本語訳して紹介します。

【訃報】ベテランレフェリーの『ポンピン』が逝去

(画像元・記事元:superluchas.com 記者:Apolo Valdés)

 1月2日、『ポンピン』のニックネームで知られるアルフォンソ・ラミレス・ディアス氏が85歳で亡くなったという悲報が舞い込んだ。

 ベテランレフェリーは1950年代後半から、従弟でありガルデニア・デイビスと似たキャラクターを有していたベジョ・ペピンと共にルチャリブレ業界に足を踏み入れた。前述のデイビスは従者としてグエロ・ランヘル氏を傍に置いていたことから、ベジョ・ペピンも同様にポンピンを従者として引き連れていたというわけだ。

人生をリングに捧げたポンピン

 アレナ・サン・フアン・パンティトゥランで試合を行ったと公表されているが、ルチャドールとしての必要な身体的条件を満たしていなかったことから、試合に出場したことは決してなく、実際はトレーニングを積んだだけである。彼をレフェリーに誘ったのは白銀のマスクマンことエル・サントであった。ポンピンは1957年に14歳という若さでレフェリーとしてデビューしたのであった。

 ポンピンは、クアトロ・カミノス闘牛場を本拠地とした、ドン・フランシスコ・フローレスが立ち上げたルチャリブレ団体『モーラ・プロモーションズ』でレフェリーとして活躍したことが人々に記憶されている。そこでは、カネックがルー・テーズを下しUWA世界ヘビー級タイトルを獲得した試合などの伝説的な試合の数々をレフェリーとして仕切った。

 また、クアトロ・カミノス闘牛場では他にも、アンドレ・ザ・ジャイアントミル・マスカラス、ソリタリオ、スタン・ハンセンといった世界的なスター選手の試合も務めた。また、レネ・グアハルドと舞台裏で言い争ったピーター・メイビアの素晴らしい逸話の数々を知る人物であった。

 80年代後半にCMLLに入団。2003年にはSÚPER LUCHASでラ・ビダ・イ・ラ・ルチャ*1のコラム連載を開始。60年以上をリング上で活躍した後、視力の問題を理由に2020年に現役を引退している。

 存命中、30年以上を過ごしたCMLLでは、火曜日定期興行にて同氏に捧げられたセレモニーが行われた。

 リングの詩人、ドン・アルフォンソ・ラミレス『ポンピン』氏、安らかにお眠りください。

superluchas.com

*1:人生とルチャ