「iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない」を読んで

 iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。
 この話題の元記事も「なんでこんなの記事にしたんだろう?」という感じでしたが、この記事もいろいろとツッコミどころが満載で炎上マーケティングの一つかと思ったくらいですが、今回はあえてツッコミはしないで逆にツッコミを受けられるように僕の意見を述べようかと思っております。
 子供は親の私物ではないという点に関しては僕も完全に同意。子供だって一人の人間なんだからその人間性は絶対に尊重されるべき。しかしながら、問題なのは子供は未成年である間は親の庇護の下にいるわけであって、その代わりに社会的責任を負わずに済んでいるのだから、親の言うことを聞くくらいのことはしてもいいのではないだろうか?というのが僕の意見。
 例えばiPhoneを13歳の子供が使いたい放題して、アプリとか購入しまくったりいかがわしいサイトを利用してしまって、多額の料金請求が来た場合、やはり責任は親にあるわけですから、それを未然に防ぐためにも親が子供に忠告するのは至極当然のことだと思うのですが。
 昨今、「自由」をいろいろな場所で耳にしますがそれは単なる「わがまま」であったりして、どうやら本当の自由を知らずに「自由」を掲げてギャーギャー騒いでいる人がおられるようなんですね。本当の意味で自由というのは常に束縛の上に成り立っているものであって、束縛の中には社会的責任もあるんです。社会的責任を捨てた自由というのは「わがまま」であって他人に迷惑をかける恐れがあるということは、誰もが子供のうちに学んでおくべきのことではなかったのでしょうか?
 最終的には子供は親の姿を見て、というよりは周囲の環境に左右されて成長し人格も形成されていくものなので、親がそこまで計画的に子供の人格を形成することはほとんど不可能だし、子供だってそれほど単純じゃあありません。親の教えから学ぶべき点とそうではない点を学んでいくでしょう。
 子供をもっと尊重しろ!なんていう前に子供はもっと大人たちに対して敏感にリアクションしていると思いますよ。